2024年12月
「信じる」
園長 内藤かず子
12月に入り保育室も少しずつクリスマスの飾り付けが行われます。
玄関のクリスマスツリーは昨年度使用したもみの木です。開園当初からクリスマスツリーは毎年もみの木を購入し、翌年も使用するつもりで一年間管理したのですが、なかなか上手く管理できなく2本はダメにしてしまいました。
今年こそは「やったね!」の境地です。もみの木の枝の先端が黄緑色になっているところが成長した部分です。
クリスマスと言えば子どもたちにとってはなんと言っても「サンタクロースがプレゼントを持ってくる日」で楽しみにしている日です。
皆様も幼い頃はサンタクロースを信じている時期もあったでしょう。それがいつの日か「サンタさんはお父さん、お母さん」になり、それからはそれまでとは違ったクリスマスプレゼントになったのではないでしょか?
のっぽ保育園にも毎年サンタさんがプレゼントをもってやってきます。サンタさんはこの保育園の大家さんの前島さんです。子どもたちは“まえじーじ”と呼んでいます。どの子も “まえじーじ”が大好きです。
しかしサンタの衣装を着けて登場すると保育室には泣き声が毎年聞こえてきます。
特異な服装をしてひげをはやして帽子をかぶった人が自分のすぐ目の前に現れたのですから・・・・。
この現象を、人によってはもしかしたら「不適切な保育」と思われてしまうかも知れませんね(笑)
サンタクロースの存在を信じている子どもたちが羨ましい、また信じていた幼き頃が懐かしいです。
クリスマスと言えば、イエス・キリストの誕生日(12月25日)は、仏教国の日本ではあまり馴染みがありませんが一般的なこととして最近ではほとんどの人が知っています。
世界三大宗教(キリスト教・イスラム教・仏教)の一つのキリスト教の神の子イエス.キリストのことです。
その教えが書いてあるのが『聖書』であることは皆さんご存知だと思います。
その聖書に「私たちが幼な子であった時は、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また幼な子らしく考えていた。しかし、大人になった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった」とあります。
まさにサンタクロースを信じていた私たち大人はいつの間にか幼な子らしいことを捨ててしまっているのです。
それゆえ私は、時に保育園の幼な子たちが羨ましく、できれば自分もそうありたいと思う時があります。
幼な子は、何もかもありのままを信じているからです。
大人になっていくにしたがって私たちは知恵がつき、物事の性質や本質が分かってくるにつれて、幼な子のように素直に信じることができなくなってきているようです。
以前教会の神父さまから「“証明されなければ信じない“、ということは“信じる”ことではない。なぜならば証明されているのであれば“信じる必要はない”」と話されたことを思い出します。
最近、最終裁判で下された「袴田巌さんの無罪判決」で袴田さんの無罪が立証されました。
事件から58年、死刑確定から44年。その間巌さんの姉の秀子さんはずっと巌さんの無実を信じていました。検察からの物的証拠も弁護団は巌さんの無実を信じ捏造としてずっと裁判で争ってきました。
『信じる』ことができるのは人間だけ。巌さんと秀子さんをはじめとする弁護団の皆さんやずっと巌さんの無実を信じた方々の、無実を信じる力はいったいどこからくるのでしょうか?
聖書の続きには「このようにいつまでも存続するのは、信仰と希望と愛とこの三つである。このうち最も大いなるものは愛である」とありました。
人間として大切なものは何歳(いくつに)になっても失いたくないものです。
